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VOL38:道の島の建築物(H23.7.15)

 奄美諸島はかつて薩摩藩が琉球(沖縄)を侵攻する際に通過する島々であったため「道の島」と呼ばれていました。そこからしばらくは島民にとって辛く苦しい時代に突入するわけですが、辛かったのは薩摩藩の支配だけではありません。道の島は人々が往来するだけではなく、台風が通過する台風の通り道でもありました。そんな厳しい自然環境の中で育まれた有名な建造物を2つ紹介します。


右画像は喜界島伊実久集落にある現代風高倉
高倉の起源
 喜界島をはじめ奄美諸島、沖縄には「高倉」という高床式の倉庫があります。昔から主に食物(穀物)を貯蔵するのが目的で造られていました。この高倉は起源は台湾やフィリピンなど南方地域といわれていますが、古代日本においては全国各地で使用されていた形跡があります。現在でも使用しているのは奄美だけと言われています。

高倉の構造
 構造上の特徴としては、屋根の部分に茅を葺いた高床式の倉庫であるため通気性が良く、湿気を防いでくれるので高温多湿の奄美の風土に最も適しています。厚手の茅が強い太陽の日差しから守ってくれるため、穀物はもちろん黒砂糖、味噌、魚介類、豚肉、衣類まで保管していました。床下の空間は風通しが良く、日差しや雨をしのげるため快適な作業場であり、または家族の憩いの場でもありました。子供達にとっても身近な遊び場でもありました。柱に使われた材木はイジュ(椿)が用いられており、鉋でよく磨くことによりネズミは爪をたてる事ができず、侵入することができませんでした。また梯子を使って倉へ出入りするため、使用しない時は梯子をはずしておけば防犯にもなり、南国特有の台風が襲来しても風は床下を通り抜けていくため、揺れはするものの倒れるということはありませんでした。火災の際にはすばやく倒して庫内の貯蔵物を取り出せるうえ、地震がきても柱が基礎石の上に乗っているだけの構造であるため、揺れがきてもずれて移動するだけで倒壊はしないだろうと言われています。このように自然の脅威に対して優れた力を発揮するのが高倉なのです。

宗教的な力が反映された建物
 新築の際には「カフカ」と言って陰陽道に定められた「生き物の生命力を封じる日」が選ばれていました。それはネズミやスズメなどの害に合わないようにという意味がこめられています。この「カフカ」の日は一年間のうちに数日あり、高倉の制作工程は主に7工程ありますが、その7工程を「カフカ」の日にすべてあてはめてしまうと、あまりにも力が強くなりすぎて人間自体が命を落とすとされているため、カフカの日に作業を始めるのは3〜5工程とされているようです。また柱などには陰陽道の九字、梵字などの模様が彫られているものも存在し、奄美という地域がどれだけ宗教的な力が強かったかという事がわかります。


阿伝集落の珊瑚の石垣
ハブが生息しない島
 喜界島は隆起珊瑚の島であるため、島全体が珊瑚の岩礁で囲まれています。普通の岩と違いゴツゴツしているため、砂浜以外は草履もしくは靴を履いていないと歩くのも困難です。その歩きにくさゆえに昔は罪人の流刑地として使用された事もありました。長い年月を経て地上に出た珊瑚は職人の手で加工され「珊瑚の石垣」として利用されてきました。珊瑚の石垣は台風の多い奄美において昔から島民の住居を守ってきましたが、ハブの棲家になりやすいという欠点がありました。奄美諸島のハブが生息する島では殆どの石垣は壊されてしまいましたが、隆起珊瑚の島である喜界島にはハブが生息していないため石垣も壊されることなく残っているわけです。

阿伝集落に残る石垣
 喜界島では阿伝集落というところに多数の石垣が残っています。わりと新しい石垣はセメント等で固定して強度を増していますが、昔ながらの石垣は積み上げたままの状態で残っています。しかしながら、珊瑚特有のゴツゴツした形のおかげで積み重ねただけでも強度があり、南国の強い台風にも崩れることはありませんでした。現在では石垣を作る職人も少なくなり、新たに作られることは無いようです。
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