昔の喜界島ではセー作り(焼酎作り)が家庭単位で日常的に行われていました。それは味噌や醤油を自分の家で作るような感覚でした。江戸時代後期には材料として米、甘藷(かんしょ)、椎の実、蘇鉄(そてつ)の実、栗、桑、百合の根、南瓜(かぼちゃ)などが用いられ、当時高級品であった黒糖が用いられる事はめったに無く、黒糖が使用されるようになったのは明治時代以降のようです。セー作りは政府が税収対策のため、明治31年(1898年)に酒の自家製造を禁止するまで普通に行われていました。各家庭でそれぞれ風味や味が少し違うものの、基本的には同じ作り方だったようです。今回は昔の家庭で行われた焼酎作りを紹介したいと思います。 |
@つぶした芋、または米を蒸して冷まし、ムシロに薄く広げて麹菌の替わりとしてハッタイ粉を振りかける。
ハッタイ粉は大麦を炒って挽いた粉であり、脱穀した種子がビール、ウィスキー、焼酎などの発酵食品の
原料として使われます。およそ4〜5日くらいで温度が30度〜40度へ上昇し、淡黄色の麹ができます。
(注:夏場は腐るため不可)
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A樽もしくは大きな口の広い瓶に移し、麹がヒタヒタに浸るくらい水を加え蓋をする。
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B20時間程度放置した後、蓋を開け、よく掻き回し密閉する。(アルコール臭が強くなる)
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Cそれから3〜4日間くらい蒸した芋を毎日加え、朝夕2回しっかり掻き回す。
(手は清潔にして臭いが移らないように注意する)
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D最後の仕込みとして、黒糖を大きな鍋で溶かし、それを冷やしたものと水を加え、
ドロドロの状態を薄い液体状にして仕込みを終える。また朝夕2回しっかりと混ぜる。
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E4〜5日程度で大きな気泡がもろみの中から出てくるので、さらに掻き混ぜる。
時間が経つにつれ気泡の大きさは少しずつ小さくなり、せわしく出るようになる。
アルコールの臭いがかなり強くなる。
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F2次仕込みから1週間程度で気泡が5mm〜3mmと、激しく吹き出してくる。
気泡が収まってくると、樽の表面に固まっていたもろみが沈み始める。(蒸留適期)
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蒸留
以上が蒸留までの行程ですが、この時期を逃すと焼酎は酸っぱくなり飲めなくなります。また、蒸留の際にはもろみを大鍋に汲み取り蒸留しますが、あまり強火で炊くともろみが焦げ臭くなるので飲めなくなります。
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江戸時代後半に行われていた蒸留法。これは「ちんたら蒸留器」と呼ばれ、カブト式蒸留法の原型と思われます。
※名越左源太「南島雑話」より画像引用 |
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当時最も用いられた手軽な蒸留法。 ちんたら蒸留器と手法は同じで、大きな鍋が2個あれば割と簡単に設置できた。 |
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これも当時としては貴重な錫を用いるため、カブト式ほどポピュラーではなかった。 |
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それぞれの行程を別々に行うため、効率が良く大量に蒸留できたが、やはり貴重な錫を用いるため、行う人は限られていた。 |
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