このページでは酒にまつわる話や、いろんなエピソードなど書き綴っていきたいと思います。
     
VOL22:平和を願う花 (H21.7.27)

 夏の頃、8月15日の終戦記念日が近づくと、きまって特攻隊の事が思い浮かびます。戦時中、喜界島には日本海軍の特攻隊の中継・出撃基地がありました。現在その場所には喜界島空港がありますが、その周辺は4月頃になると通称特攻花(テンニンギク)と呼ばれる花が咲き乱れます。その名前の由来は特攻隊員が出撃の際に島の娘から手渡された花を、自分の生きた証、もしくは自分の身代わりとして咲いてくれ(生きてくれ)という願いを込めて、滑走路に置いたり、飛行機から落としたりして、それが根付いて咲くようになったからだと言われています。ひょっとしたら島の娘が隊員の代わりに植えたのかもしれません。その花の特徴は花びらの中心が赤く、外側の部分が黄色く縁取られています。そして天に向かって真っ直ぐ花を咲かせます。その姿はまるで平和を天に祈っているようです。

知覧特攻平和会館写真より
◆尊い犠牲のもとに・・・

 私は幾度か鹿児島県南九州市(知覧町)にある特攻平和会館を訪れた事がありますが、そこに飾られている隊員達の写真を見ると、自分の息子みたいな若者がたくさん微笑んでいます。そして彼等はみんな凛として優しい顔をしています。数日後に出撃するとは思えないような穏やかな表情です。そして遺書の文字(毛筆)が見事なことに驚きました。かなり学芸面でも修練してた事がうかがえます。そして殆どの遺書が家族を気遣う内容や恩師への感謝の言葉で延々と綴られていました。戦争に関して意見を述べる事はあまりにも内容が重すぎて、平和の中で生まれ育ってきた私が、極限状態の隊員の心中など到底理解できるものではありませんが、きっと平和な未来を願って旅立ったのだろうと思います。「二度と戦争は起こさない事」それが死んでいった若者達への餞であり、戦争の犠牲になった彼等の一番の願いだと思います。
【喜界島基地の概要】

昭和6年に開設され、太平洋戦争の開戦と共に南方との中継基地として使用された。

昭和19年には、南方との中継及びに本土防衛の重要性が増したために、大幅な整備拡張が行われた。

菊水作戦時には陸軍航空隊と基地の共同運用となり、ここより両軍の航空隊が沖縄を攻撃している米軍に特攻攻撃を行っている。

飛行場跡地は昭和34年に喜界町が整備作業を行い喜界飛行場として運用が開始された。

昭和46年に喜界島空港と名前を変え、昭和49年に運用者が喜界町から鹿児島県へと変わり、現在に至っている。

【海軍航空基地戦没者慰霊之碑】
滑走路のすぐ横の公園に慰霊碑があり、ここから滑走路と太平洋の両方を見ることが出来る。

海軍航空基地戦没者慰霊之碑
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