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VOL20:喜界島に伝わる信仰 (H21.5.11)
かまど神信仰

 喜界島では昔からかまど神の信仰がありました。喜界島ではかまど神の事をヒョンニャラシ、ヒョウミガナシなどと呼んでおり、祀る場所は芋等の煮炊きをする小屋(ウンムトゥー)でした。ヒョンニャラシの信仰は琉球における「殿」(トン)に由来します。その御神体は三個の石か粘土の塊で、島におけるかまどの象徴になっていました。島のかまどは、粘土を固めて造った円錐形三個を鼎立させ、その上に鍋を載せて使っていました。この塊を島ではウンサーと呼んでいたそうです。
石敢當(セッカントウ)

 石敢當は主に琉球や奄美諸島で信仰されている魔除けの一種であり、石敢当と表記されたものがありますが、意味は全く同じものです。琉球・奄美だけでなく本土でも設置してある場所があります。
 喜界島の各村のT字路の突き当たりには、今でも多くの石敢當を見ることができます。石敢當は昔(慶長以前)中国から琉球を経て伝えられたものだと言われており、語句の由来は古代中国、後漢の時代の力士か武将の名という説と、石神に対する信仰から除災目的で彫られたものという説があります。琉球では魔物(マジムン)は真っ直ぐにしか進むことはできず、T字路の突き当たりに石敢当を置く事により、魔物を退散、消滅させることができると信じられいました。喜界島は琉球とは少し違っており、T字路にはシチーと呼ばれる煙のような魔物が立っており、人の往来を妨げるので、石敢当を置いて魔除けにしたとされています。
針突き(ハジチ)

 琉球、奄美諸島など南の島々では明治の中頃まで、女性が手の甲から指先にかけて入墨をする風習がありました。入墨は単に装飾的な意味合いだけではなく、呪術的要素が含まれていました。成人した女性の証というほかに、これを施さずに亡くなった場合には霊魂があの世へ行けず、途中でさまようと言われていたほど大事なものだったようです。喜界島では女性が12〜3歳くらいになると右手に、結婚してからは左手に施して、一目見て既婚者かどうかがわかるようになっていました。結婚前に親許で行う入墨は「親厄介」(ウヤヤッケー)と呼ばれ、女性の貞操を守り、試練にも耐えますという決意を示すものでした。また、結婚後は「夫厄介」(ウトヤッケー)と呼ばれ、妻としての忍従を誓う意味がありました。

 その図柄は島々により一定の図柄があったようですが、家筋、立場などでも違う図柄を使用していました。使用された図柄は矢形、星形、四角形、丸形、十字などを組み合わせてあり、上級の者ほど精巧な模様をつけていました。喜界島では最上級の者になると「三升突き」(米三升の賃金)と呼ばれ、普通の人は「二升」、下級は「一升」と呼ばれていたようです。その入墨を施す人を「ファヅチセークサー」(針突大工)と呼び、その職人は殆どが女性であり、中には鹿児島県本土から来ている者もいたそうです。1876年(明治9年)に入墨の禁止令が発布されましたが、明治30年頃まで処罰覚悟で施す人もいたようです。

喜界島の入墨の模様
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