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VOL50: 琉球弧に見る、いにしえの喜界島(H25.8.25)

 喜界島は琉球弧に属します。琉球弧とは九州の南から台湾に至るまでの洋上に連なる約200余りの島々を指します。日本本土とは異なるその文化や風土は人々を魅了し、昔から中国大陸や東南アジアとの交易も行われていました。本土側から見ると一見、辺境な位置にあるため、閉鎖的なイメージがあるかもしれませんが、別の見方をすれば、あらゆる文化が交わる地域であったため、その影響を受けながら独自の発展を遂げてきたともいえます。歴史をたどるとまだまだ明らかにされていない点も多く、それゆえ島で発見されるものには、時に歴史の定説をくつがえすようなものもあります。実は近年の調査でこの喜界島が琉球弧において文明の中心地であったのでは?という発見がされました。




 その説の源となったのが「鉄の存在」です。12世紀頃の喜界島で製鉄が行われていたことを示す遺物が発見されました。琉球弧では「琉球王国中心史観」が根強く指摘されてきましたが、これにより大きな衝撃に見舞われています。鉄器は農業生産力を飛躍的に高め、日本本土では弥生〜古墳時代に普及し、大和政権の確立に結びついたとされています。琉球弧での鉄器普及は11〜12世紀頃とされ、農業の本格化もその時期でした。やがて琉球王国が成立していく転換期を迎えるわけですが、この時代は鍛冶作業で鉄器を加工しており、素材の鉄そのものを作る製鉄を示す考古学的証拠は喜界島以外には、琉球弧はもちろん、鹿児島県内でも見つかっていないのです。

 鉄はその時代先端文明であり、製鉄の痕跡は島の技術的先進性や支配力を如実に示します。そこから周辺社会の発展の鍵を握っていたとも想定されるのです。その根拠は、喜界島南部の崩り遺跡で見つかった鉄滓(てつさい:鉄を生産・加工する際に生じる、不純物を多く含む鉄くず)と、粘土で作った製鉄炉の炉壁とみられる破片です。喜界町教委が2011年から同遺跡1万uを調査したところ円形の土坑2基と全長13mの溝が見つかり、鉄滓や炉壁らしい破片が大量に出土しました。昨年、愛媛大学の東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通教授が現地を調査したところ、鉄滓と破片は12世紀のものであると結論づけられました。村上教授によると製鉄技術は中国や沖縄本土ではなく、日本本土から持ち込まれたものと推測しています。

 崩り遺跡の調査結果を受け喜界町教委は島内の過去の発掘成果を見直しました。まず対象となったのが、02’年に調査を開始した城久遺跡群です。そこは島中央部で見つかった8遺跡の総称で13万uにも及びます。堀立柱建物跡が約400棟が確認され、鍛冶炉約30基、土坑墓約40基なども見つかっています。この遺跡群では鍛冶炉関連の遺構や遺物を再調査した結果、当初は鍛冶作業で使われたふいごの羽口と思われたものに、製鉄炉の炉壁片の可能性が浮上し、製鉄原料の蹉跌を詰めた穴もあり、ここでも製鉄を行っていた可能性が出てきたのです。





 崩り遺跡城久両遺跡の発掘を担当してきた澄田直敏町教委埋蔵文化財係長は「沖縄本島に鉄を供給したのは喜界島ではないか」と推測しています。喜界島はもともと琉球弧では力を持っており、島を支配した集団がさらに優位な地位を占めるため、製鉄技術を外部から持ち込んだとも…。では、その支配集団とはどういう人々なのでしょうか。城久遺跡群の出土遺物から推測されるのは交易商人の存在です。同遺跡の特徴は、島外の生産品が遺物の約8割を占めることにあります。それらには滑石製石鍋(長崎県)、カムィヤキ(徳之島の土器)、土師器・須恵器(日本本土)、中国産の白磁・陶磁器、朝鮮半島の土器などがありますが、在地の土器は殆どありません。

 「日本記略」には、998年に大宰府が「貴駕島」に対し、南蛮人を捕らえるよう命令したとの記述が残っており、別の文献には、997年に奄美の者が九州諸国に乱入し、殺害や放火に及び人や物を奪ったとされ、以前には大隅国の400人を拉致したとの記述があります。こうした文献などから、それらを取り締まるため、9〜11世紀頃には大宰府の出先機関のような、本土側の琉球弧支配拠点があったとの説も唱えられています。

 11世紀後半〜12世紀頃になると、琉球弧全域で前述した滑石製石鍋、カムィヤキ、中国産白磁等が大量に出土します。この時期が琉球弧、さらには東アジア全体を対象とする交易商人集団の拠点だったと考えられます。その商人集団とは、南九州在地の領主層、博多に居住した中国・宋商、本土の広域交易商人などが想定されます。澄田係長「国の出先機関が置かれるなど、9世紀〜10世紀前半に琉球弧における喜界島の中核的な役割が確立した。その後も中心機能は変わらず、商業集団が用い続けたのだろう」と話しています。


 これまで琉球弧では琉球王国が中心的なイメージが強かったのですが、近年の新たな発見により、いにしえの奄美の姿が徐々に浮き彫りになりつつあるようです。
※参考文献
H25.1.7毎日新聞掲載記事「海の十字路」
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