
◇最終回
フーゼル油の酸化を防ぐために様々な対策がとられるようになりました。この酸化は、高温、日光(紫外線)、空気(酸素)によって促進されるため、容器が、透明瓶から茶色など色付き瓶が用いられるようになり、さらに濾過技術の発達により、丁度いい具合にフーゼル油を取り除く事が可能になりました。極限まで除去したい場合には、減圧蒸留と言われる沸点の低い蒸留を行うと、フーゼル油は気化されず醪の中に残る事になります。このように減圧蒸留とイオン交換樹脂による精製などにより、近年好まれている軽くてクセの無い爽やかな飲み口の焼酎が製造されるようになりました。ただ、あっさりしすぎて面白くないという一面もあります。
熟成酒といえばウィスキーやブランデーが思い浮かびますが、濾過技術の進歩により焼酎のフーゼル油の塩梅がコントロールされ、長期熟成による悪臭の影響は軽減されました。このように技術の進歩は、お酒の可能性をどんどん広げており、これからも新しいお酒が誕生する事でしょう。(終わり) |
南海日日新聞掲載分
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(其之28) 
【その2】
黒人奴隷の代価として広まる
一説によると、日本に初めてラムが入ってきたのは、戦国時代の末期、秀吉の時代に荒気酒として船乗りが持ち込んだという説もありますが、この説は時代的に合っていないので、おそらく明治4年に、横浜のイギリス商館コードリエに持ち込まれたのが最初だと言われてます。
現在、日本ではサトウキビが造られる南日本や小笠原諸島など、本格的な国産ラムが生み出されています。奄美大島では「神酒」(おみき)と呼ばれる50度のラムが造られ、一升瓶で売られています。
ラムの誕生は大航海時代、ヨーロッパ人にによるアフリカ、アメリカ征服計画と大きく関わっており、16世紀のはじめ、西インド諸島を支配したスペイン人がサトウキビのジュースから蒸留酒を造ったのがはじまりとも言われています。17世紀になるとイギリス人が蒸留技術を持ち込み、さらに進歩しました。
ラムは支配されたサトウキビ農園の奴隷を供給するための経済物質となり、新大陸でサトウキビから精製された糖蜜は、イギリスに運ばれてラムになり、ラムは酒文化で遅れていた西アフリカに運ばれて、黒人奴隷の代価として支払われました。そして、黒人奴隷は新大陸に運ばれ、プランテーション農場でサトウキビ栽培に酷使されました。このような悪循環の中でラムは世界中に広まっていった側面があります。 |


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